生と死と手紙

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昨日は数年前に亡くなった祖父の誕生日。そして今日は命日です。
お人好しで、人の事しか考えてなかったおじいちゃん。
わがままを言ったり、悪態をついているのを見たことがありませんでした。
ずっと忙しくしてて、仕事を辞めたとたんにボケてしまったおじいちゃん。
やっと好きな絵を描きながらゆっくり出来るはずだったのにね。
でもみんなに必要とされて、幸せな人生だったと思います。


昨日、家に帰ったらポストにハガキが3通。
一通は熊本から、一通は群馬から、そしてもう一通は目黒から。

目黒の子は、一度だけ一緒に飲んだことのあるフリーのカメラマンの女の子で、
あるお店に自分の写真が飾られることになったから見に来てほしいと。
一緒に飲んだ次の日、
「知らない人ばかりで気後れしてたときに、churaさんが輪に入れてくれて、ホントにうれしかった。」
とメールをもらってたのに、今回のハガキにもまた同じことが書いてありました。
何の気なしに取った行動でしたが、相手にしてみればとても嬉しいことだったんだなと、
なんだか幸せな気分になりました。


そして、熊本からは悲しいおしらせ。
お子さんが亡くなってしまったと。
私が最後にあったときは、まだお母さんのおなかにいた子。
まだ1歳でした。
長男君は名前に「耕」という字が入ってて、今回亡くなってしまった次男君の名前には「咲」という字が入ってました。
畑を耕して、花が咲いて。三番目の子にはきっと「実」という字をつけるつもりだったんでしょう。
生命感溢れる名前を授かった子なのに。

かける言葉が見つかりません。
最近多い、幼児の突然死。
五体満足で生まれて、たいした怪我や病気もせずにこの年まで楽しく生きてこられたのが奇跡に思えます。

つい3日前にも、10年来の友達が第二子を出産とのうれしいメール。
どうか健やかに育ってくれます様に。祈らずにはいられません。


そして、群馬の子は、特にたいした用事がある訳ではなく、
とりとめのないことを書いたハガキをおくってくれました。
こういうのってとても嬉しい。

あたたかい手紙。

「日常」が続くこと。

もう数年会っていないけど続く関係。

簡単なことじゃない。

一度あっただけでも切れないつながり。
数時間一緒にいただけの人のことで喜んだり、悲しんだり。

人のつながりほど尊く、心を豊かにしてくれるものはないように思う。

そしてそれをつないでくれる手紙。
時代は変わろうと、大切な存在。
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by churaphoto | 2010-11-25 15:04


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