支援物資

写真をどうやってまとめようか、悩んでいたら日にちが経ってしまいました。

とにかく、まずは皆さんに送っていただいた物資がどこにどう行き渡ったのか、お伝えしますね。
被災地の写真はまた次回にします・・・。

まず、向かった場所ですが、高橋幸子さんという方のお宅です。
この方はご自分も、お母様とともに命からがら津波から避難した方です。
この方のお宅は高台にあり無事でしたが、
ご自分のお知り合いのお宅に様子をうかがいに行った所、
物資が届いてなくて逼迫している家庭がたくさんあり、
東京にいる知人を通じて、mixiの被災地支援コミュに、名前と電話番号を載せておられました。
そちらに私が電話をしたのがきっかけで、今回物資を運ぶ事となりました。


おかげさまで、本当にたくさんの物資が集まりました。

7人乗りのステップワゴンに、3人がぎりぎり入る程度のスペースしか余ってませんでした。
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早速、高橋さん宅におろし・・・
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そのまますぐ開封し、それぞれ、自宅避難してるお宅の人数分に仕分けし直し・・・
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それをまた車に積み直して、各ご家庭へ。
こちらのお宅は、前回のブログでお仏壇を撮らせていただいたお宅です。
3家族が、山奥のお家で車も無く、自治体から物資が届く訳でもない状態で、一緒に暮らしています。
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わんちゃんも壁の間から見つかって救助されたそうです。
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すごくすごく、暖かい家庭でした。
奥様を亡くされたご主人は、「いつも一緒にいるんだよ。ラブラブなんだ。」と、胸ポケットから、
奥様とご一緒に写ってる、もうよれよれになってしまった写真を見せてくれました。

「遠い所から、ありがとうね」と、握手をしてくれたご主人の手は、とても強く、暖かかった。
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帰る車から撮影。

今回は、自宅避難してるお宅へは2軒だけまわりました。
まだ今回届けた食料の物資は余っていて、それはまた別の日に別の所へ支給するとの事です。

そして、一旦家に戻ってきてから、今度は瓦礫撤去作業に使う、軍手やゴム手袋、タオル、衣類などの物資を積み込んで、
この辺りでは一番物資が届いてないという、「津山町若者総合体育館」へ。

「この辺り」と言っても、そのお宅から仙台方面へ片道2時間半。それを、ほぼ毎日、
ご年配の女性と、更にご年配で、震災以降お体の調子も良くないお母様とで車を走らせて通っているそうです。ガソリン代もすべて自腹で。
毎日毎日、居眠り運転しそうになって、助手席のお母様に叱咤激励されながら。

この日は、私たちの車に同乗して頂き、私たちも同行させてもらいました。
津波の被害が甚大だった気仙沼の海岸線〜南三陸町の海岸線を通り・・・。

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この体育館に、まだ200人もの方が避難しているそうです。

中もご厚意で見せてもらいましたが、個人のスペースは布団一枚分。寝るか座るかしか出来ない状況ですでに1ヶ月以上経過してる事を思うと、言葉がありませんでした。

そんな状況でも、物資を引き取りにいらした年配の男性はニコニコして、段ボールの中をのぞくと、
欲しかった物があったようで、「やったね!」と肩をたたいてくれました。

「物資を届けた証拠写真として、物資の前でみんなを呼んで記念写真撮る人もいるけど、撮りますか?」なんて聞いてくれましたが、そんなことのためにみなさんを集めさすのも気が引けて、お断りしました。
なのでこの避難所の写真はこれしかありませんが、確かに届けてきましたので・・・。

そしてまた2時間半かけて、家にもどってきました。

ところで、被災地に行く何日か前に、私は高橋さんに電話をし、
「物資としては言いづらいような、嗜好品で、食べたい物、飲みたいもの、何かありませんか?」と伺うと、
「ショートケーキが食べたい」
とのことでした。

なのでケーキ好きな友人に連絡を取り、おすすめのケーキ屋を聞くと、
そのままその友人がケーキ屋さんに手配をしてくれて、当日、それを発砲スチロールに入れて、
東京から持って行きました。
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私たちが食べたらもったいない、と何度も断ったんですが、
「みんなで食べましょう。」と。
なのでみんなで一息。(手配してくれたmatyu、私たちまで食べちゃってごめんよ)
「生クリーム、どのくらい振りだろう。おいしい〜」と、すこし気を緩めてくれたように思います。


毎日毎日、遅くまで物資の仕分けをして、朝早くからそれを各家庭に配って、
甚大な被害の海岸線を横目に見ながら避難所まで車を走らせ・・・。

どれほどのストレスか、想像もつきません。
それでも高橋さんは、常に優しく、笑っていて、周りの犠牲になられた方のために涙を流します。

ご縁あってこの方とお会いできて、本当に良かった。そう思います。
変な言い方かもしれないけど、生きていてくれて、皮肉な出会い方かもしれないけど、会えて良かったと、心から思いました。




そして、義援金。

何度も言いましたが、自腹で避難所に通ってる高橋さんのガソリン代にと、確かにお渡ししてきました。
皆さんから集まった金額は、3万2千円。

それから、一緒に来てくれた奈良大介さんはミュージシャンで、ライブで集まった義援金が4万円ほど、とのことです。
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そしてきちんと写真を撮る事を忘れてしまったんですが、上の写真で右下に写っている楽器は、奈良さんと奈良さんのご友人からの寄付で、城南中学校に寄付される事になったそうです。

皆さん、本当にどうもありがとうございました。
つたない文章でごめんなさい。
みなさんにくれぐれもよろしく、と、被災地の方々口を揃えておっしゃってました。

それから、一緒に行ってくれた二人も、ホームページとブログで、被災地の状況を伝えています。

奈良大介さん奈良大介公式HP「おしらせ」という所に載っています。
林成志くんlinchengzhi  気仙沼へ


*今日、また高橋さんに電話をして、ご様子をうかがった所、物資が結構届いて、今はとりあえず大丈夫との事です。
物資を届けてた避難所も、ある程度そろったそうで、毎日のように行く事は無くなったとのこと。
毎日早朝から動いていた高橋さんですが、今日の昼過ぎに電話をしてみたら、寝起きでした。
少しは状況が良くなってきたようで、ほっと一安心です。

でも、車もない山奥に住んでいる方に物資が支給されてないのは変わらない事実で、
問題は、高橋さんの所に物資が届くか届かないかではなく、高橋さんのような一個人が自腹で骨身を削って動かなきゃならないその事実だと思います。

たくさんあるはずの義援金はどこでとまってるのか。
避難所によって、格差があったり。入れる人の条件があったり。
自宅避難してる人が、避難所に食料を取りに行っても、取りにきた人数分しかくれないそうで、
家族分はもらえないとか。
仙台に知人がいるという方が言うには、ランドセルが足りてないと。
でもその一方で、寄付したランドセルが余ってる地域もある。


根っこから変わらなきゃだめだ。絶対ダメだと思う。
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by churaphoto | 2011-05-03 02:56


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