<   2011年 05月 ( 9 )   > この月の画像一覧

2011/05/28 福島 あづま総合体育館

c0159876_145567.jpg
福島市にある、あづま運動公園の中で、避難所になっている体育館の前で、若風エイサー隊が演舞しました。
模擬店も出てて、東京は根津から、タヲさんという和太鼓のチームも来てました。
雨はちょうど着く頃にやみ,最初はちょっと肌寒いくらい。次第に晴れてきました。
c0159876_1564514.jpg
c0159876_152341.jpg
c0159876_1591090.jpg
c0159876_215491.jpg
c0159876_1543554.jpg
外での演舞で、興味のある人が見に来る感じだったので、見てくれたのは少人数だったけど、
聞き慣れない音楽と、奇抜な格好を不思議そうに見てくれてました。

演舞が始まると、私は一人で、背中にリュック、肩からカメラバッグ、首からカメラをぶらさげて、
カチャーシー(沖縄の踊り)を踊り、「アッティ!」とか、「ハーイヤー」とか合いの手を入れながら周りをぐるぐるまわってました。

その姿が滑稽だったのか、ニコニコしながら話しかけてくれる避難所の方もいて、「どこの新聞?」と聞かれたりしました。

私が「一緒に踊りませんかー??楽しいですよー!」と話しかけると、照れながらも手を動かしてくれ、それを見た、ジミヘンのヅラをかぶったウエチーノ(日本人です)がすかさず近づいてきて、
踊り方を講習。ふんどしでおばあちゃんの汗をふいてあげたりして爆笑。
男性はウエチーノの赤ふんに対抗して自分の持ってたタオルを腰から下げて白ふんにしてました。
c0159876_25431.jpg
c0159876_273833.jpg
c0159876_293811.jpg
c0159876_2121728.jpg
c0159876_214672.jpg
その後、和太鼓チーム、タヲさんのド迫力の演奏が始まり、その後和太鼓ワークショップ。みんな「難しい!」と叫びながらも、とても楽しそう。
太鼓って、どんな太鼓でも、みんな笑顔になる。いい楽器だなとしみじみ思いました。
c0159876_2171525.jpg
c0159876_2185020.jpg
c0159876_221316.jpg
c0159876_2231548.jpg
c0159876_2273815.jpg
その後第二部で、またエイサー隊が演舞し、途中から和太鼓もコラボしたり。
エイサー隊が演舞してる時に後ろで見てた和太鼓の人たちに駆け寄って、「一緒に踊ってください!!」とお願いしてみたら、わからないながらカチャーシーを踊ってくれ、
最後は避難所のみなさんもエイサー隊も、和太鼓のみなさんもみんな輪になってグルグル踊る。
c0159876_2303533.jpg
c0159876_2334756.jpg
最後に記念写真。白いタオルを首に掛けてる男性は、
「3人で写真撮って。そんで送ってよ」と、名前を教えてくれました。早く送らないとっ!


ここに来てくれたのはほんの一部で、こうやって笑ってくれる人ばかりではない事はわかってます。
が、それでもこの方たちの笑顔を見る事が出来て良かったとおもう。
この人たちの笑顔以上に、尊い物は無いんじゃないかって思えた。
そしてそれを写真に撮らせてもらえる事を心から感謝。写真やってて良かった。

はやく、一日でも早く、ここで過ごす人たちが心から笑える日が来ますように。
もうなんか、他に言葉が出ないです。


エイサー隊のみんな、連れてってくれてありがとう。
みんなと行ったからこそ、この笑顔が撮れました。
音楽の力ってやっぱりすごい。シンカ(仲間)と言ってくれる事を誇りに思います。
「来てくれてありがとう」ってみんなが言ってくれるけど、こちらこそ、本当にありがとうございました。

今回のイベントの担当の方が、「また、このメンバーでやりましょう!」って言ってました。また行けるといいな。
[PR]
by churaphoto | 2011-05-31 03:08

実家

c0159876_22201532.jpg

我が家もしっかり被災してます(笑)
いや笑いごっちゃない。この奥に裏口があるんですけど、うっかり誰かがそこ通ってたら大変な事になってましたね。
GWに、震災以降初めて実家に帰ってみて、思ってたよりすごいことになってて驚きました。

まあみんな無事で良かった。
c0159876_222255100.jpg

池は小さくなってしまいましたが、鯉は元気に泳いでました。(何匹かは死んじゃったのかなー。よくわかりません。)

なぜ帰ったかと言うと、甥っ子の2歳の誕生日だった訳ですよ。
たった2年しか生きてない分際で、お食事会をやるとのこと、なんとなく納得いかない気持ちを持ちつつも、ご飯につられて帰ってみました。
お金ないのでなんのプレゼントも持たず、ふらりと帰ってみました(最低な叔母。)
でも私なんて、おひな様出してもらった記憶も無いのに!!(末っ子)
c0159876_2232348.jpg

c0159876_22311387.jpg
初孫にデレッデレな私の父。

明日は福島行ってきます。
避難所はもしかしたら撮影許可がおりないかもしれませんね。
でもどこかで何かしら撮って、現地の方と話してきます。
いわきで自宅避難してる友達曰く、私たちがいく避難所は、津波の被害の人たちより、
原発で帰れない人の方が多いみたいです。
とにかく、行ってきます。


最近震災ネタばっかりで、生活がみえないと思いますが、ちゃんと働いてます。
[PR]
by churaphoto | 2011-05-27 22:38

写真展示のお知らせ

c0159876_2215382.jpg

気仙沼に一緒に行ったミュージシャンの奈良大介さんが、6月3日に、国立にある地球屋にてチャリティライブを開催します。(上は奈良さんお手製、ほのぼのフライヤー)
その時に、私の撮った写真も展示する事になりました。

最初は「被災地の写真」と言われてたんですが、やっぱり明るい写真にしようということになりました。
チャリティなので、どストレートにハッピーな写真を暑苦しいくらい展示しようと思います。
ピンが合ってないとか、ぶれてるとか、そんなことは気にせず、私がパワーを感じた写真をドワーッと。

国立なので遠いし、金曜日だし、なかなか来づらい条件が揃ってるとは思いますが、
みなさま是非お誘い合わせの上、お越し下さい。(たぶんスタートも予定より遅いと思う・・・)
飛び入り参加も大歓迎との事。

ジャンベマスターの奈良さんのライブを見るだけでも楽しいですよ。
c0159876_2293016.jpg
ナラさん。
[PR]
by churaphoto | 2011-05-26 02:35

28日

c0159876_19443219.jpg

4月28日に気仙沼に行ってきたんですが、今度は5月28日に、福島に行く事になりました。

上の写真は、千葉県は松戸にある、沖縄料理 若夏というお店を拠点にして全国で活動してる、若風(うりかじ)エイサー隊です。

彼らのエイサー(沖縄の伝統的な太鼓)は、スピード感あって、他のエイサー隊とはちょっとちがうんですが、彼らがNPOから、正式に福島の避難所で演舞をしてほしいと依頼されたそうです。

私は1年くらい前に彼らとよく遊んでいて、遠征にもついて行ってこうやって写真撮ったりしてたんですが、引っ越してから行かなくなっちゃってたのに、
「バスがまだ座れるから、一緒に行こう」と誘ってもらっちゃいました。

この前の気仙沼での救援物資でも、たくさん協力してくれてます。

私は太鼓をやらないけど、私の事を「シンカ(=沖縄弁で「仲間」という意味)」と言ってくれるエイサー隊のみんな。

私は太鼓どころか指笛どころか口笛も吹けないから何も協力できないけど、一緒に行って写真を撮ってこようと思います。


でも、向かう先は福島。
気仙沼とは被害状況が違います。
住む所はあるのに、帰れない人たち。

すでに行ってきて演奏をしてきたミュージシャンの方が、「おれらの気持ちわかって歌ってんのか」と、避難所にいる方に責められた、と言っていました。

気仙沼より、もっともっと怖いです。
エイサー隊はものすごくパワフルで、それは自慢できるものだけど(私が自慢する立場じゃないかな)
その元気を被災地の人たちに!なんて、軽々しく言える状況じゃないと思います。
そして写真なんて撮っていいものなのか。

でも行ってきます。
c0159876_20343068.jpg

うまく説明できないけど、「何か」を信じて。
[PR]
by churaphoto | 2011-05-23 20:35

2011/04/28 気仙沼〜南三陸町〜津山町 4

c0159876_132861.jpg
c0159876_141519.jpg
c0159876_144162.jpg
c0159876_15941.jpg
c0159876_154378.jpg
c0159876_161899.jpg


高橋さんから、たくさんのお話を伺いました。

おじいさんとお孫さん一人しか生き残らなかった家族。

旦那さんと手をつないでたのに、津波にのまれて手を離してしまった人。

なんとか屋根の上に避難できたけど、今度は大規模な火災が起こり、屋根に飛び火しないように、
一晩中海水を掛け続けながら救助を待った人。

身体の悪い年老いた父母を上の階にあげる事が出来ず、「ごめんね」と言って下に置き去りにしてしまった人・・・。


今でも、この話を思い出すと、動悸が激しくなり呼吸がうまく出来なくなります。
見ず知らずの人の話でこんな風になってしまうのに、実際にそれを経験して、
抱えて生きて行かなきゃいけない人たちはどれだけの重みと痛みなんだろう。


言葉が見つからないです。


上の最後の写真でわかると思いますが、避難所に行くまでの道のりはずっと、ゆるい起伏が続いていて、1メートルの差で状況が全く違っていました。


c0159876_115201.jpg
c0159876_1155456.jpg
c0159876_1175038.jpg
c0159876_118348.jpg
c0159876_1225931.jpg
c0159876_1233240.jpg
c0159876_124163.jpg
そしてこの惨状の中で働いてる人たち、避難所から学校に通ってる子どもたち。(子どもたちとは、私たちが行った避難所から帰る時にすれ違いました。)
気仙沼まで行く高速道路は、補正された部分との段差でガタンガタンとなるところはあったけど、ひび割れてて避けて通らなきゃならない所とかは、もう一カ所もありませんでした。
一番最後のガソリンスタンドの写真は、確かな事はわからないけど、手書きの看板がある所をみると、営業してるんだと思います。

避難所にはまだ200人を超える人たちがいました。


「忘れちゃいけない」じゃない。
「まだ終わってない」んです。



まだ終わってない。



引き続き、出来る事を。
私もします。

国に期待して文句を言うよりも、個人が動いた方が絶対に早い。
出来る事は限られるし小さい事かもしれないけれど、その分わかりやすいはず。
[PR]
by churaphoto | 2011-05-17 02:04

2011/04/28 気仙沼〜南三陸町〜津山町 3

c0159876_23552318.jpg
c0159876_23583288.jpg
c0159876_23574086.jpg
c0159876_23562246.jpg
c0159876_031932.jpg
c0159876_061119.jpg
c0159876_051944.jpg
c0159876_041531.jpg
c0159876_0122546.jpg
c0159876_0111112.jpg
c0159876_094622.jpg
c0159876_083336.jpg
c0159876_015537.jpg
c0159876_0141984.jpg
c0159876_0133988.jpg
c0159876_0153615.jpg

これでも片付いてきたんだろうなとは思うし、
震災直後は、この瓦礫や、木に引っかかってる物とかと同じような感じで、
おびただしい数の遺体があらゆるところにあったんだろうと、漠然とは思う。
「こんなところから海なんて見えなかったのよ。スーパーや銀行がある、普通の街がここにあったんだから」
空き地のようになってしまった場所を通るたび、高橋さんは何度も言ってくれるけど、どうしても私にはきちんと想像が出来ない。
きっと出来ない方が自分のためにはいいんだと思う。
でも高橋さんの気持ちを痛み分けできないのがもどかしかった。
一番もどかしいのは伝わりきらないのを感じてる高橋さん本人だろうけども。
人はつながるのは簡単だけど、わかり合うことは難しいと、この震災後、いろんなシチュエーションで何度も思う。

ぐしゃぐしゃの街を自衛隊のいかつい四駆が何台も何台も通り過ぎて、戦場のようだと思った。

流していたラジオからは、ずっとずっと、震災の話が聞こえていた。

私が行った時点であの日から一ヶ月半経っていたけど、まだまだ、震災の真っ只中だと思った。

あと一回、続きます。
[PR]
by churaphoto | 2011-05-14 00:30

2011/04/28 気仙沼〜南三陸町〜津山町 2

更新が滞ってしまいました。すみません。

気仙沼から、南三陸町の海岸線を通って、津山町というところにある避難所までの道のりで、走る車から撮った写真たちです。

後ろの席に座ってて、フィルムの貼ってある窓越しなので少し色が変かもしれませんが、あまり手直しをしたくなくて、ほぼ撮ったままの状態です。
c0159876_22515122.jpg

c0159876_232486.jpg
c0159876_2312858.jpg
c0159876_2304876.jpg
c0159876_2301273.jpg
c0159876_22571441.jpg
c0159876_225626100.jpg
c0159876_2256126.jpg
c0159876_22552866.jpg
c0159876_22545075.jpg
c0159876_22541382.jpg
c0159876_22532568.jpg


走行中、時々鼻を突く異臭がした。魚が大量に腐ってるような。

まだ続きます。
[PR]
by churaphoto | 2011-05-12 23:07

2011/04/28 気仙沼〜南三陸町〜津山町

2011年4月28日午前8時頃、気仙沼に到着しました。
一関のインターから、一般道を1時間くらい。いつ、景色が変わるんだろうと緊張してましたが、
気仙沼の駅付近に着いても、普通の光景でした。
c0159876_1630725.jpg
子どもたちも通学しています。
c0159876_16322415.jpg
早朝から営業してるお店もあり、コンビニもあいてました。
テレビで見る限り、気仙沼という街そのものが壊れてしまったような印象で来たので、
少し安心もしたんですが、道を一本曲がってみるとこの状態でした。
c0159876_1637722.jpg

c0159876_16404437.jpg

c0159876_16425628.jpg

c0159876_16444498.jpg
曲がってしまった電柱や家の横を、子どもたちが歩きます。
c0159876_16464951.jpg

c0159876_16491767.jpg
気仙沼駅周辺をすこしぐるぐる走って、3人とも言葉も無いまま、高橋さんのお宅に着き、見てきた事を告げると、
「あそこらへんはまだ序の口ですよ」と言われました。

c0159876_1657960.jpg
高橋さんのお宅の近くにある、学校。自衛隊が駐屯してました。
でもこの学校に避難してる方は、「完全に家での炊き出しが不可能なかた」のみで、
それ以外の方の受け入れはして無いそうです。

そして、高橋さんのお宅のすぐそばにある、見事なしだれ桜。
c0159876_18373737.jpg

先ほどの気仙沼駅付近の写真の所から、車で5分くらいの場所です。道が一本違うだけ、高さが10メートル違うだけで、こんなにも変わる物かと、絶句でした。
気仙沼は、被災していない所は本当にのどかで、きれいで、自生してるたらの芽がたくさんあったり、すばらしい所でした。


そして昼過ぎ。津山の避難所へ向かう途中の海岸線。松岩という駅の近くです。
c0159876_17123739.jpg

c0159876_1717863.jpg

c0159876_17154541.jpg

c0159876_17404135.jpg

c0159876_18484579.jpg

c0159876_18524925.jpg

c0159876_18562047.jpg


ちなみにこの辺りのもとの風景は、googleマップで「宮城気仙沼市松崎片浜 信用金庫 松岩支店」と入れると出てきます。(リンクが出来ない模様)
ちなみに、この信用金庫は、震災直後に4千万盗まれてしまった所です。

もうなんか、「見る」というよりも、受け入れる前に視界に飛び込んできたというか、
脳みそがついてきてなくて、目の前の光景を認められず、
想像力もついてこなくて、何がどうなってこうなったのか、理解できないまま、
ただ写真だけ撮ってたような、そんな感じです。

ちょっと写真が多すぎるので、今回はここまでにします。
[PR]
by churaphoto | 2011-05-03 19:25

支援物資

写真をどうやってまとめようか、悩んでいたら日にちが経ってしまいました。

とにかく、まずは皆さんに送っていただいた物資がどこにどう行き渡ったのか、お伝えしますね。
被災地の写真はまた次回にします・・・。

まず、向かった場所ですが、高橋幸子さんという方のお宅です。
この方はご自分も、お母様とともに命からがら津波から避難した方です。
この方のお宅は高台にあり無事でしたが、
ご自分のお知り合いのお宅に様子をうかがいに行った所、
物資が届いてなくて逼迫している家庭がたくさんあり、
東京にいる知人を通じて、mixiの被災地支援コミュに、名前と電話番号を載せておられました。
そちらに私が電話をしたのがきっかけで、今回物資を運ぶ事となりました。


おかげさまで、本当にたくさんの物資が集まりました。

7人乗りのステップワゴンに、3人がぎりぎり入る程度のスペースしか余ってませんでした。
c0159876_0485616.jpg


早速、高橋さん宅におろし・・・
c0159876_0514161.jpg


そのまますぐ開封し、それぞれ、自宅避難してるお宅の人数分に仕分けし直し・・・
c0159876_0535084.jpg
c0159876_0531956.jpg


それをまた車に積み直して、各ご家庭へ。
こちらのお宅は、前回のブログでお仏壇を撮らせていただいたお宅です。
3家族が、山奥のお家で車も無く、自治体から物資が届く訳でもない状態で、一緒に暮らしています。
c0159876_0561999.jpg

わんちゃんも壁の間から見つかって救助されたそうです。
c0159876_112444.jpg
c0159876_123618.jpg

すごくすごく、暖かい家庭でした。
奥様を亡くされたご主人は、「いつも一緒にいるんだよ。ラブラブなんだ。」と、胸ポケットから、
奥様とご一緒に写ってる、もうよれよれになってしまった写真を見せてくれました。

「遠い所から、ありがとうね」と、握手をしてくれたご主人の手は、とても強く、暖かかった。
c0159876_1393698.jpg
帰る車から撮影。

今回は、自宅避難してるお宅へは2軒だけまわりました。
まだ今回届けた食料の物資は余っていて、それはまた別の日に別の所へ支給するとの事です。

そして、一旦家に戻ってきてから、今度は瓦礫撤去作業に使う、軍手やゴム手袋、タオル、衣類などの物資を積み込んで、
この辺りでは一番物資が届いてないという、「津山町若者総合体育館」へ。

「この辺り」と言っても、そのお宅から仙台方面へ片道2時間半。それを、ほぼ毎日、
ご年配の女性と、更にご年配で、震災以降お体の調子も良くないお母様とで車を走らせて通っているそうです。ガソリン代もすべて自腹で。
毎日毎日、居眠り運転しそうになって、助手席のお母様に叱咤激励されながら。

この日は、私たちの車に同乗して頂き、私たちも同行させてもらいました。
津波の被害が甚大だった気仙沼の海岸線〜南三陸町の海岸線を通り・・・。

c0159876_1265133.jpg

この体育館に、まだ200人もの方が避難しているそうです。

中もご厚意で見せてもらいましたが、個人のスペースは布団一枚分。寝るか座るかしか出来ない状況ですでに1ヶ月以上経過してる事を思うと、言葉がありませんでした。

そんな状況でも、物資を引き取りにいらした年配の男性はニコニコして、段ボールの中をのぞくと、
欲しかった物があったようで、「やったね!」と肩をたたいてくれました。

「物資を届けた証拠写真として、物資の前でみんなを呼んで記念写真撮る人もいるけど、撮りますか?」なんて聞いてくれましたが、そんなことのためにみなさんを集めさすのも気が引けて、お断りしました。
なのでこの避難所の写真はこれしかありませんが、確かに届けてきましたので・・・。

そしてまた2時間半かけて、家にもどってきました。

ところで、被災地に行く何日か前に、私は高橋さんに電話をし、
「物資としては言いづらいような、嗜好品で、食べたい物、飲みたいもの、何かありませんか?」と伺うと、
「ショートケーキが食べたい」
とのことでした。

なのでケーキ好きな友人に連絡を取り、おすすめのケーキ屋を聞くと、
そのままその友人がケーキ屋さんに手配をしてくれて、当日、それを発砲スチロールに入れて、
東京から持って行きました。
c0159876_23747.jpg


私たちが食べたらもったいない、と何度も断ったんですが、
「みんなで食べましょう。」と。
なのでみんなで一息。(手配してくれたmatyu、私たちまで食べちゃってごめんよ)
「生クリーム、どのくらい振りだろう。おいしい〜」と、すこし気を緩めてくれたように思います。


毎日毎日、遅くまで物資の仕分けをして、朝早くからそれを各家庭に配って、
甚大な被害の海岸線を横目に見ながら避難所まで車を走らせ・・・。

どれほどのストレスか、想像もつきません。
それでも高橋さんは、常に優しく、笑っていて、周りの犠牲になられた方のために涙を流します。

ご縁あってこの方とお会いできて、本当に良かった。そう思います。
変な言い方かもしれないけど、生きていてくれて、皮肉な出会い方かもしれないけど、会えて良かったと、心から思いました。




そして、義援金。

何度も言いましたが、自腹で避難所に通ってる高橋さんのガソリン代にと、確かにお渡ししてきました。
皆さんから集まった金額は、3万2千円。

それから、一緒に来てくれた奈良大介さんはミュージシャンで、ライブで集まった義援金が4万円ほど、とのことです。
c0159876_237661.jpg

そしてきちんと写真を撮る事を忘れてしまったんですが、上の写真で右下に写っている楽器は、奈良さんと奈良さんのご友人からの寄付で、城南中学校に寄付される事になったそうです。

皆さん、本当にどうもありがとうございました。
つたない文章でごめんなさい。
みなさんにくれぐれもよろしく、と、被災地の方々口を揃えておっしゃってました。

それから、一緒に行ってくれた二人も、ホームページとブログで、被災地の状況を伝えています。

奈良大介さん奈良大介公式HP「おしらせ」という所に載っています。
林成志くんlinchengzhi  気仙沼へ


*今日、また高橋さんに電話をして、ご様子をうかがった所、物資が結構届いて、今はとりあえず大丈夫との事です。
物資を届けてた避難所も、ある程度そろったそうで、毎日のように行く事は無くなったとのこと。
毎日早朝から動いていた高橋さんですが、今日の昼過ぎに電話をしてみたら、寝起きでした。
少しは状況が良くなってきたようで、ほっと一安心です。

でも、車もない山奥に住んでいる方に物資が支給されてないのは変わらない事実で、
問題は、高橋さんの所に物資が届くか届かないかではなく、高橋さんのような一個人が自腹で骨身を削って動かなきゃならないその事実だと思います。

たくさんあるはずの義援金はどこでとまってるのか。
避難所によって、格差があったり。入れる人の条件があったり。
自宅避難してる人が、避難所に食料を取りに行っても、取りにきた人数分しかくれないそうで、
家族分はもらえないとか。
仙台に知人がいるという方が言うには、ランドセルが足りてないと。
でもその一方で、寄付したランドセルが余ってる地域もある。


根っこから変わらなきゃだめだ。絶対ダメだと思う。
[PR]
by churaphoto | 2011-05-03 02:56